オトルチンとしての挨拶 /モンゴル民族文化基金

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第3期2006年7月―2008年7月

rizi06.jpg      チョクト「モンゴル民族文化基金」の設立主旨と経緯は、当基金のホームページ(http://www.mongol-ncf.com)にすでに掲載されているので、ここで本基金の発展とその展望の意味を別の視点から考えてみたい。

モンゴル遊牧文化圏の日常生活には、「オトル」という言葉で表現された思考・行動様式があります。それは「移動」、「避難」、「探検」、「越境」、「憧憬」など多様な意味を含んだ、モンゴルの遊牧自然環境において形成された特殊な思考・行動を表した言葉で、いわば、遊牧文化圏ならではの生の営み一様式です。「オトル」とは、目の前のやむをえず避難せざるをえないという意味合いを含んでいるが、同時に、災害がなくでもさらに先を読み、遠い未来に起こりえることを想定して行う生計行為であり、また、新天地へ移動するという積極的なロマンを憧憬する思考・行為でもあります。

その行為には未知の異郷に立ち入るというスリルな意味もあれば、住み慣れた場所と別れをするという悲しさをも含意するのです。また故郷とは切っても切れない郷愁の関係のなかで暮らしていくという思考・或いはアイデンティティーの浮かび現れる現象でもあります。
このようにアイデンティティーが強く感じる時こそ自分の由来、行き先、民族、故郷、文化等々について思考し、真剣になって来るのも人の感情の極一般的な現象であるでしょう。

001.jpgしたがって、いうならば、ある意味でわれわれ在日モンゴル族は、さまざまな形で日本を「オトル」している。「オトル」という発想のもとで暮らしを営んでおります。実際、この「モンゴル民族文化基金」は、そういった背景のもとで誕生し、その積極的な意味を組んでみんな「モンゴル民族文化基金」を支えております。ところが、遊牧文化の極端な一形態「オトル」という思考・行動様式が、いまや日本の高度に秩序化された現代社会において積極的に生かされているとは、驚かざるを得ません。

一方、日本を「オトル」してきた人たちはまた決し故郷を忘れてはいません。当然のことですが、当基金も毎年コンサートなどさまざまな形で奨学金を見積もって、危機に晒されている内モンゴル民族教育に寄付し、またさまざまなアカデミックな形で研究発表を組織し、日本人を含め、多くの人々と協力し、代々継承してきた文化を次のさらに次の世代に残して行こうとしてきました。「オトル」を背景に「モンゴル民族文化基金」は、そういう役割を果たしてきたのです。

さらに立ち入って考えてみると、この高度に合理化され、マニュアル化された社会において、在日モンゴル人だけでなく、日本人を含め、すべての人が精神的に「オトル」という場が必要とされているのではないでしょうか。この何年間の歩みを振りかえて見ると、「モンゴル民族文化基金」は確かに「オトルチン」(ロマンを追っている人たち)の会だといっても過言ではありません。

今後もこの基金を皆様のご協力のもとで、その内実を豊かにさせ、より多くの人々とこの「オトル」の場を共有したい。

      ※「オトル」をする人;  大自然と調和しながら遊牧する作業形式。