第13回学術交流会

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2006年12月2日(土)、午後1時10分から夕方にかけて、モンゴル民族文化基金(MUSS)と和光大学総合文化研究所共催のモンゴル学術交流祭06即ち第13回モンゴル学術交流会が和光大学で開催されました。当日の受付名簿には丁度70名の記名があり、一部未記名の人もいたので、今回は総勢80余りの人々が集まりました。その内MUSS側からは日本に不在だった理事らや都合がつかなかった理事らを除き、H.チョクト理事長をはじめ、ブレンサイン、ジャルガルト、ブヘ、テグス(和光大学)、ガンドシ、ガンバガナ、チ・ブルグッド、ビンジュン、ヘシグバヤル、ドクルジャ、スチン、トブチチゲ、オルトナスト、エルデニバートルら15人の理事が出席しております。以下、学術交流会の企画準備段階から終了までの流れをまとめ、報告とさせていただきます。
  第13回モンゴル学術交流会は約一ヶ月半前から東京外大AA研助教授・MUSS学術交流部部長のクレビト・トクス理事が企画し、米国に研究滞在中でありながら、メールや電話を通じて、和光大学との調整役を果たしたブレンサイン理事や学術交流部補佐と連絡を取り合って発表者を選定し、プログラムを決定しました。また、第4部の文化交流会での出演者に関しては、MUSS初代理事長だったバー・ボルドーさんが手配されました。
  そして12月2日お昼12時前後に、まず発表者たちが和光大学に次々と到着し、和光大学の山村先生、佐治先生、内田先生及び司会者と打合せ会を開きました。学術交流会は、プログラムに書かれた通り午後1時10分丁度開会され、冒頭には山村先生がご挨拶を述べられました。

  第1部の研究発表では、首都大学東京博士課程のトクタホさんによる「少数民族留学生の民族的アイデンティティの変容と教育に関する一考察」と題する発表と、お茶の水女子大学博士課程のゴイハンさんによる「内モンゴル民族学校における英語教育の実施状況及び学習者達による言語意識調査の分析」と題する発表がありました。会場からトクタホさんの発表に対しては、「民族的アイデンティティ」を学問的に取り扱うには、モンゴル国との関係をどのように取り扱うかという避けられない問題があることと、また、そもそもアイデンティティとは何か、それは「形成」或いは「変容」するものなのかといったコメントや質問がありました。ゴイハンさんの発表に対しては、漢語教育のほか、英語教育の普及により母語であるモンゴル語が忘れられるのではないか、中国の少数民族学生にとっては小学校からモンゴル語、漢語、英語の3言語を同時に学ばねばならないことが大変負担になるのではないかなどの質疑応答がありました。第1部の研究発表の司会はエルデニバートルがつとめました。研究発表終了後は15分程の休憩がありました。

  第2部では、「モンゴル人の日本留学百周年」と題するシンポジウムが開催されました。
ここでは、まず、日中文化研究所研究員・アジア民族造形文化研究所教授の横田素子先生による「1906年モンゴル族学生の日本留学」と題する発表が行われ、河原操子が教員をつとめていたハラチン王貢桑諾爾布の女子学堂からの三名の女学生など、1906年のモンゴル人日本留学生について史料に基づいて語られました。次に、大阪外語大・滋賀県立大学非常勤講師の内田孝先生による「日本留学期のサイチンガーの翻訳活動」と題する発表が行なわれ、内モンゴルの代表的な文学者ナ・サインチョグトの日本留学期の翻訳活動を、教育・学術・文学・その他のジャンルから語られました。さらに、新潟産業大学助教授のバイカル先生による「20世紀モンゴル人の日本留学」と題する発表が行われ、20世紀の中国からのモンゴル人の日本留学を、初期(1906~1932)、中期(1932~1945)、後期(1972~1999)と区分した上で、主に中・後期と2000年以後の特徴を研究活動や社会活動などの面から語られました。第2部のシンポジウムの司会は滋賀県立大学助教授のブレンサイン理事がつとめました。

  第3部では、和光大学教授の佐治俊彦先生による「内モンゴル・リグデン文学との出会い」と題する特別講演が行なわれました。佐治先生は、モンゴルとの出会い、自分の少数民族観、リグデン及びリグデン文学との出会い、リグデンの長編小説『地球宣言』の翻訳作業及びリグデン夫妻との交流などについて講演されました。
  講演終了後、MUSSのチョクト理事長がご挨拶を述べられました。
  そして、15分程の休憩を挟んで参加者たちは文化交流会の会場へ移動されました。
  第4部の文化交流会は午後6時過ぎからスタートし、和光大学の山村先生が開会のご挨拶を述べられました。乾杯の後、しばらく歓談が続き、羊肉の美味しいお料理を賞味しました。その後、スチントヤーさんによるモンゴルの歌と、マンドボヤンさんによるウイグルの踊りが披露されました。馬頭琴も予定していましたが、ハスローさんの直前のキャンセルで演奏が出来ませんでした。文化交流会では、多くの人々が積極的に歌を歌ってください、会を大いに盛り上げました。閉会後は、いくつかのグループが鶴川駅の近くで二次会を設け、交流会の成功を喜んで歓談しました。

  第4部の文化交流会の会場に置いた募金箱には、合計25,500円が集まりました。集計はブヘ理事、ドクルジャ理事と学術交流部補佐の三人で行ない、募金は12月4日すでにモンゴル民族文化基金の口座に振込済みです。
  最後になりましたが、感謝の気持ちを表したい。まず、準備段階から大変お世話になった和光大学の内田先生、特別講演をされた佐治先生、ご出席された東京外大の二木先生、岡田先生にお礼を申し上げます。それから、発表者の皆様と出演者のお二人、そして、資料のコピーから羊肉の調理、お茶の調達など多くの面で大変尽力された和光大学のテグス理事とその仲間たち、基金のパネルやガンバガナ理事と理事長が作った基金のパンフレット、羊肉などを調達されたチョクト理事長、12時前に会場に来て「第13回モンゴル学術交流会」というモンゴル文字を会場で貼り付けてくれるなどお手伝いをされたジャルガルト理事、受付から最後までお手伝いをされたブヘ理事、サラントナラさん、パネルを貼り付けてくれた和光大学のサラさんとその仲間たちに感謝を申し上げます。勿論、ここではお名前を全部取り上げることが出来なかった多くの人々の支えが無ければ、会の成功は無かったということを特記しておきたい。

(モンゴル民族文化基金学術交流部、2006年12月5日)