2007サマーキャンプ

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「モンゴル民族文化基金2007サマーキャンプin フフホト」の報告

200701.jpg今年の6月23日の船橋チャリテイーコンサートの収益の全額を当て「専款専用」の形で企画され、チ・ブルグッド理事が企画から実施まで全力を挙げた「モンゴル民族文化基金2007サマーキャンプin フフホト」8月22日から8月27日までに内モンゴル自治区のフフホト市で行われました。参加者或いは全過程の目撃者として、皆様にご報告を致します。
 7月7日の理事会議でサマーキャンプ正式に決定した時点からチ・ブルグッド理事、私(ムンクデルゲル)、ガンドシ理事、ヘシゲバヤル理事及びチョクト理事長を中心に企画が具体化され始め、キャンプの日程、予算などについて数回の打ち合わせを経て、7月14日に理事メールで皆に流しました。Tシャツのデザインについてちょっと議論があった以外、予算案と日程案はそのままにし、現地の状況に応じて多少変動することを視野に入れ、ブルグッド理事が先行フフホト入りしました。ブルグッド理事が帰省後に彼と連絡を取りながら、内モンゴルの関係者、元理事らとも常に連絡を取り、万全であることを望みました。合いにくく内モンゴル成立60周年の盛大イベントに重なり、ホテル、バスなどの値段が跳ね上がり、一時期予約すら困難でありました。私が新疆に帰ってからブルグッド理事、ガンドシ理事と毎日の変化・進展を電話でお互い確認し、8月15日にブルグッド理事からホテルの予約が出来たとの連絡を受け一先ず安心しまた。同時にブルグッド理事が、東京から郵送したキャンプ用リュックサッ200702.jpgクと現地で購入したTシャツにデザイン通りに文字を印刷して完璧にしていました。私が21日に新疆での仕事を終え、北京経由でフフホトに飛びました。北京空港でブルグッド理事に連絡しようと電話ボックスに近づいたところ、まさかスチン理事がそこに、広い北京空港で偶然会えるなんてびっくり。後の便に乗るスチン理事を置き去り、フフホト空港で出迎えに来たブルグッド理事とキャンプの拠点である「内モンゴル武装警察総隊招待所」(スタッフも武警服で非常に安全でした)についた時、8時ころでした。ホテルにガンドシ理事と師大の蘇金星先生(東京外大出身)らと会い、マスコミ、大学の講習などの手配について打ち合わせし、各自の人脈を使い連絡を取りました。ブルグッド理事の友達もバスを手配済みでした。内モンゴルテレビ、新華社、内モンゴル日報(モンゴル語、漢語)、内モンゴル新報(漢語)、内モンゴル大学、師範大学の先生たちとも連絡を取れました。夜遅くまで三人でキャンプ隊員の受付をして、内モンゴルテレビ、日報の友たちとも近くの野台でちょっと飲むことも出来ました。いよいよ明日の開会式と早朝到着する予定の新疆からの4人に心配してよく眠れませんでした。彼女たちは18日各自の地元から出発し、丸々四日間掛けて恐らく人生初の遠征をして、この夢の都市―フフホトに来ています。

初日

200703.jpg昨日夕方フフホトに降りた時、天候は曇り半分砂半分で、ジュンガル盆地からいきなりモンゴル高原の南端に来たせいか時差、水土差に慣れなくて正直言って違和感がありました。ガンドシ理事のアロレギーが炎症を起こしていて、真っ赤の目で鼻水、知らないものは酩酊ではと思うくらい顔をしていました。生まれて成人まで育てられた土地に慣れないと言う皮肉なことは近い十数年の自然環境の激しい変化を違った面から立証できるのではないかと思います。
 早朝6時に起きて、睡眠不足の目をしながらタクシーでフフホト駅に到着した。蘭州からの列車は定刻に来ていました。中国のどこの駅とも同じ出口は一つだけ、洪水のように圧して来る乗客のチケットを漏れなく厳しくチェックする駅員の罵声、泣き声で許しを求める過重荷物か無券の乗客、駅ビルはどんどん立派になっていても、目の前の風景は大学に通っていた25年前ころとあんまり変わっていませんでした。また、この列車に出張でバヤンノールから来てい200704.jpgる内モンゴル青聯の副秘書長のブレンさんとも偶然にお会できてました。ブレンさんはキャンプ期間中に多大のご支援を下さったことを後述します。乗客の大半が出てから新疆からの四人のキャンプ隊員が出て来ました。四人とも面識がないが奨学金授与写真で見ていたので、すぐにわかりました。無事であることは何よりです。
 ホテルに戻って、彼女たちと甘粛省からの二人の手続き、そして朝食を終え、開会式の準備をしました。テレビ、各新聞者、大学の先生たち、協力者の皆様が九時に来ています。開会式に使う赤い横断幕を注文していましたが、約束した時間に送ってこない。政府機関の協力なしで、単独で開催するイベントですので、未知数があまりにも多い、ブルグッド理事もガンドシ理事も私も初体験ですので、誰もが口に出したくない緊張が走っていました。「モンゴル人は厳密に企画しなくても直前までぼーとしていたものたちが期待に近い結果を得られることは不思議だ」とある東京に住むモンゴル通の日本人が話していたことを思い出し、あまり良い話ではないが、それに信じて開会式に臨みました。
ガンドシ理事が開会式の進行役を勤めました。わたしは基金を紹介した後、今回のサマーキャンプの主旨、目的などを説明し、開会を宣告しました。その後、キャンプの隊員たちの自己紹介をおこない、ブルグッド理事がキャンプの日程、準備段階を説明しました。ガンドシ理事から今回のイベントの資金調達経緯、スチン理事から生徒たちへの期待など内容でそれぞれ発言しました。開会式に参加した唯一の日本人で、基金の協力者である西郷美穂さんから激励の言葉がありました。来客の師範大学のチョルモン先生から生徒たちを激励し、前日に出版された詩集を皆さんに贈呈しました。元理事のチョクト先生(早稲田)からも基金活動の意義について発言しました。休憩を挟んでマスコミの質問に答えました。記者たちは基金のことを殆んど初耳していて、政府機関がバックアップしてないことに戸惑っていた顔をしていました。
二時間を及ぶ開会式は無事に終わり、来客、マスコミ関係者、キャンプの隊員たちと記念写真を撮り、招待所の食堂で食事をしました。
200705.jpg午後一時から内モンゴル自治区展覧館を見学し、本格的なキャンプ活動をスタートしました。内モンゴル展覧館は60周年の看板建物のひとつで、デザインはモダンで立派な建物でした。中の展示は15、6館に分かれ、地球・人類の進化、内モンゴルの歴史、文化芸術、科学、物産などさまざまで、各分野が集中している点では学生たちに良い見学となったかなと思います。あんまりにも広くて、わたしはとにかく疲れました。展覧館の解説員たちはみな美女で、きれいな青いモンゴル民族衣装で身を包んでいて、しかし解説は漢語だけ、関係者に求めたところモンゴル語の解説員は午後休みだそうです。こんな広大な展覧館にモンゴル語の解説員は一人だけ?!幸い、最後の館で実習生の新人解説員がモンゴル語で解説してくれました。やっぱりモンゴル語の方が暖かく、身近に感じます。最後にモンゴル語で解説してくれた解説員にみんなで拍手して感謝の意を示した。訳をわからなかったがモンゴル語で解説してはいけないとの規定まであるらしい、彼女は明日上司に叱れるでしょうと心配そうに話していましたことが印象的でした。見学の途中、中の売店からみなさんに展覧館のノートを買って配り、みんなとアイスクリームを食べながら見学する中国流のシーンもありました。午後5時過ぎ、4時間を及ぶ見学を追え、展覧館を後にした。初日早朝フフホトに到着した隊員も多くいるため、休む暇なく一日の会議、見学で疲れた様子を隠せませんでした。招待所に帰る途中、長楽宮にあるモンゴルレストラン(店名を忘れた)で夕食を取りました。隊員たちと初の外食ですので、食べる量を把握できず、ボーズを買いすぎたこともあり、結局、余ったボーズを持ち帰りにしました。

二日目(8月23日)
武警招待所は朝食付きで、武警関係の会議の参加者がよく泊まる場所で、お客さんの出入りは激しくないようです。ホテルの窓から武警が隊列して、会議室のような建物に入たり出たりすることが見かけます。ロビーに「蒙古民族文化基金夏令営報到処在118房間」の看板が最後の日まで掛けたまま。この日も朝食をホテルでのんびりと取り、内モンゴル大学への見学にでました。
200706.jpg内モンゴル大学チョクト先生(早稲田)、フルルバータル先生(一ツ橋)、ソドビリグ先生(外語大)など東京でよく見ていた先輩たちが出迎え、まず校庭を案内して頂き、内大の外形を一つ一つ丁寧に隊員たちに紹介しました。内大も今年50周年を迎え、9月に大型の記念式典を行うことで、校庭には内外装工事が多かった。次に、内大博物館を見学しました。展覧館に比べると博物館の建物が小さかったが、内モンゴル、モンゴル民族についての内容は充実したところでした。続けて内モンゴル大学の誇りの一つでもあるゲレルト先生(東大)の「高分子化学及びモンゴル薬研究所・内モンゴル自治区モンゴル薬化学重点実験室」を見学しました。会いにくくゲレルト先生は出張のためご不在でしたが、博士課程のゾリグトさんが案内し、解説して頂きました。ここでモンゴル文化の一つであるモンゴル薬学研究の現状及び成果、ゲレルト先生率いる研究所の皆様の努力の結晶である数多くの特許、がん治療に効果が高い新開発のモンゴル薬の成分などを直接研究チームメイトからモンゴル語で紹介していただく事は隊員たちに印象深いことになったかなと思いました。研究所から出て次に移動している途中、運動場でバスケットボールの試合を行い、知識・研究など硬い話題のなかで体を動かして一息出来ました。本来は、夕方に招待所の近くでバスケットの試合を計画していたが、それを前倒しして、内大の運動場で出来たことも隊員たちにとって将来につながる一つの縁ではないかと考えてしまいます。隊員たちのなか、男子隊員はみな運動好きでバスケット技術が上手いでした。女子隊員のなか、活発的で男子にも負けない何人いました。やっぱり高校生は運動と笑い声に似合います。昼食の前にモンゴル学学院の会議室で、三名の先生からのモンゴル言語の現状について講習を受け、隊員たちからの質問に先生たちも回答して頂きました。隊員たちの質問もかなり鋭く、まるで学術交流会のようでした。この会議室は国際モンゴル学シンポジュウムのメイン会場でもあります。

続きは近日更新予定